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2007年9月27日 (木)

その後の父

根は真面目な父である。 薬の管理もばっちり! 一緒に外食に行く時も、

 「いや~ 食べて すぐ 飲まないと、忘れそうやから」

と お薬セットを持参する。

もともと自覚症状がない父の、 ”薬の飲み忘れ” を警戒していたのだが 私が目を光らせることなく、一人でちゃーんとやっている。 幸い副作用も出ず、生活はすっかり元通りだ。

ただ、おうちをリフォームした2年前に比べると 『老い』は進行しているように思える。 中でも 耳の遠い程度(老人性難聴)は、確実に進んでいる。

 「ねえねえ おじいちゃん」

 「・・・・」

 「おじいちゃんは耳が遠いんだから ちゃんとおじいちゃんの前で ゆっくり はっきり しゃべらないと わからないでしょ」

 「はあい」

こういうやりとりが、以前より増えている。

補聴器をつけてTVを見ていると、私が玄関を開け、おうちにあがり、リビングへのドア(引き戸)を開けて、椅子に座っている父の真後ろに立っても 気がつかない。 なのでおうちに入ったら、

 「はろ~っ!」 

と大きな声を出しながら父に近づくようにしている。 なぜなら、娘とはいえ 一人きりのはずの家の中で いきなり肩をポンっと叩かれたら びっくりして心臓に悪いだろうと 思うからだ。

最大音量にしている電話のベル、インターホンの音は聞こえているようだが、キッチンタイマーの ピピピピピ という電子音は うっかり補聴器をはずしていると 聞こえないことも。

 「だったら 携帯電話 首からぶら下げて、タイマー機能使えば 鳴るし振動するし 絶対気がつくやん」

 「補聴器つけとったら 大丈夫や」

と、聞く耳を持たない。 キッチンを 火のでない IHクッキングヒーター にしたのは、大正解である。

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2007年9月20日 (木)

正体みたり

金曜に退院した父は、

 「やっぱ家が一番や」

と ホッとした様子だった。

翌週の火曜に診察があり、病院へと足を運んだのだが

 「どれもマイナスですね。 しばらくレントゲン撮りながら様子をみましょう。 それでもはっきりしない場合は、PET ということで。」

結局この日も 父の肺の影の原因はわからずじまいだった。 気管支ファイバーでとった細胞をさらに培養して、1ヶ月後にレントゲン撮影ということになった。   そして次の診察日・・。

 「炎症の原因がわかりました。 ○○菌が検出されました。 1ヶ月培養してやっとでる程度なので、少ないし弱いものですよ。 薬を飲めば治る病気です。 良かったですねえ 癌じゃなくって。」

 「いやあ そうですかぁ。」

診察室に穏やかな空気が流れる。

 「ただ、お薬を何種類か飲んでいただかないといけないのですが、皆さん自分がしんどい時はちゃんと飲んでくれるんですけど、症状が楽になったり ご主人のように自覚症状が全くない方は 飲み忘れてしまったり、勝手にやめてしまわれる方がいらっしゃるんですよね。 それで 投薬指導で入院していただこうかと・・」

 「え? また入院するんですか!?」

 「お薬にも合う・合わないがありまして、副作用が出た場合など 入院していたらスグに対応できるんです。 お一人暮らしということですし、ここでしたら食事の心配もありませんよ。」

ドクターは父に入院を父に勧めたが、おうち大好き人間の父は 首を縦には振らなかった。。

 「大丈夫です。 ちゃんと飲みますんで・・」

 「私もしっかりチェックしますし・・」

 「そうですか? でしたら2週間毎の通院 ということにしましょう。 ただし、何かあったら即入院ですよ。」

この後、でるかもしれない副作用の説明や、その対処法、制限のある食物 などなど 細々と注意事項を必死にメモしながら聞き、薬をもらい 家路についた。

 「いやあ お前がいとってくれて助かったわ。 手続きやら薬やら 先生早口で説明するから 何ゆうてはるんか わからんかったわ。」

 「私も、菌の名前とか知らないし、カルテ覗き込んで写したのもあるけど、あとでネットで調べてみるね」

ドクターは普段使い慣れた言葉を使って説明しているだけなのだが、患者側はチンプンカンプン。 何をどう質問したら良いのかさえわからない。 医師によってこうも説明の仕方が違うのか(=患者が理解できる説明ができるか否か) と実感。 医療についても考えさせられた一日であった。

ともあれ、”影”の正体みたり!  

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2007年9月13日 (木)

ランダムタイマー

 「明日はもう 来なくて いいで」

 「そう?」

 「明日は別に検査ないし、明後日退院やろ。」

幸運なことに、すぐに結果の出る検査方法で、 ”悪い細胞” は出なかったのだ。

 「退屈じゃない?」

 「いやいや、おまえかて忙しいやろし」

確かに・・・ご近所 そして 泥棒さんに ”留守” と悟られないよう おうち(実家)の周りの掃除に毎日忙しかった。 こういう時は、マンションの方が断然楽ちんである。 

掃除の他にも、おうちが真っ暗にならないように一箇所だけ電気を点けるようにしていたのだが、 今日はこっち 明日はあっち と日替わりで点ける場所を変えていたりと気を遣った。 生協のカタログで以前、電気をランダムに点けたり消したりするタイマー というものを見かけたことがあるが、もしもまた父が入院することにでもなったら、迷わず購入!するだろう。

30分ほど二人で喋っていただろうか。 通りがかった担当のL医師が

 「大丈夫ですかっ!?」

と驚いた表情で父に近づいてきた。

 「今日はできるだけベッドで大人しくしていただいたほうが・・・」

 「そうなんですか?」

 「管を入れて組織をとっていますので、まわりの細胞にも負担がかかっているんですよ。 喋るのも控えてもらった方がいい位なんです。」

 「すみませ~ん!」

あたふたと病室に戻り、ベッドに横になった父と

 「あの新人ナースさん、あっちに行ってもいいって 言ったやんねえ」

 「先生に 何も聞いてなかったんやろか」

などとグチを交わしてから病院を後にした私は、帰りの電車の中で はた と気がついた。

80歳目前のじいさんが、気管支ファイバーを受け麻酔が切れた直後に スタスタと歩いて談話コーナーで家族と喋りまくる なんてことはもしかして 担当医の想定外 だったのでは? と。

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2007年9月 6日 (木)

運命の分かれ道

万が一のことが起こるかもしれない”気管支ファイバー”が終わって、私は とりあえず ホッ とした。

 「もう 歩いても ええんかな?」

 「はい どうぞ」

父についてくれていた新人ナースさんのお許しを得て、エレベーターの前にある談話コーナーへ移動した。 ちなみにこの新人ナースさんは、入院した日の父の採血を、私の目の前で見事に失敗した という前科がある。

 「え~!? そんなんちゃんと言って、担当変えてもらった方がいいよ。 黙ってたら練習台にされちゃうよ! うちの父親も人が良いから変えてくれって言えなくて、入院してるときに何回も失敗されたんやで。」

と医療関係の友人は忠告してくれたが、とりあえず1週間の予定の検査入院だったため、新しい芽を摘むことなく、スクスクと伸びるのを温かく見守りながらお世話になっていたのだ。

 「で、どうやったん?」

 「それがなあ、 隣の○○さんが先に気管支ファイバー受けてはってな、しんどくならない方法をあれこれ教えてくれはってな」

 「へえ~ 案外 ええ人やったんやなあ」

 「あの人も検査入院やて。 わしよりちょっと早く入ってはるやろ。 でな・・」

牢名主さんと勝手にあだ名をつけていたその人は、腫瘍が心臓の大きな血管を巻き込んで大きくなっていたらしく、場所的に手術もできず、抗ガン剤と放射線治療しか道は残されていない とのことだ。

 「昨日奥さんも病院に呼ばれてな、長いことドクターの部屋に行ったきりやったわ。」

 「ふ~ん」

母が手術を受けた日、塾で抜けられない父の代わりに病院に詰めていた私は、手術終了後ドクターから別室で説明を受けた。 その時の光景が、思い出された。

 「でな、夜○○さんが話してくれてんけど、自分よりも 奥さんがショックを受けていて心配や ってゆーてはったから、 うちもかーちゃんの時のことをいろいろ話してたりしてな・・」

そう、母も手術した時はすでに、取れない所に転移していたのだ。

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