2007年10月29日 (月)

老いては子に従え

最後まで抵抗していた父も、私の執拗な 

  • 新聞みてみ~ (高齢者ドライバーの事故特集) 
  • いま○チャンでやってるからみてみ~ (高齢者ドライバーの事故特集)
  • じーちゃんの車には もう絶対乗らへんし

攻撃に観念したのか、

 「わし 今度の車検の前に、車 処分するわ」

よっしゃ~!! 私は心の中で叫んだ。

 「で、車検っていつ?」

 「10月や」

 「ほなあと 二ヶ月ほどってこと? そんな先にせんでも、すぐに処分したらどう?」

 「いやいや・・」

これ以上追いつめるのはやめておこう。 処分を決意しただけでも私的にはヤッター!なのだ。

 「でも、注意してや~。 その2ヶ月の間に事故ったら、全部 パーやで」

 「はーい 気をつけま~す」

数日後父は私にこう言った。

 「『老いては子に従え』っていうやろ。 わしもそろそろ そうしようかな とおもたんや。」

満80才を目前にして、やっと’老い’を認めた父。 検査入院騒動が効いたのかもしれない。 運転をやめるための白い影 だとしたら、入院騒動も 必然 だったということか。

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2007年10月22日 (月)

もみじマーク

 「ねえねえ、これ貼ってる?」

 「うんにゃ~」 

 「え~! なんで? 貼ったら 周りが 気をつけてくれるやんか」

 「・・・」

私が運転免許の更新に警察へ行ったときに買った”もみじマーク”を、車に付けている気配が 全くないのだ。 『濡れ落ち葉』を連想させる等々 お世辞にもあまり評判がいいとは言えないもみじマークだが、この車は年寄りが運転してるで~ と世間に知らしめる方法は、いまのところコレしかない。

塾をしめた現在、下手をすると 父は一日誰とも喋らない なんてことも珍しくないので

 「運動がてら、老人クラブとか 行ってみたら?」

と勧めても、

 「いやじゃ~ あんな年寄りばっかり いるとこ」

都合が悪くなると、自分の歳を忘れるらしい。

もみじマークを断固拒否するのも、自分を年寄りだと認めたくないからなのだろうが、それでは困る。 なんとかペッタンしてもらわねば。

 「この前渡したやろ? どこにしまってんの? 盗られてもいいから 今つけるわ」

 「わかったわかった これから運転するときは、ちゃんとつけますって。」

むむ~。 どうも真実味に欠ける発言。 しかしこれ以上追求しても のらりくらり とかわされるだけ。 事故りませんように と仏壇に手を合わせるたび お願いするしかない。

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2007年10月12日 (金)

高齢者ドライバー

 「ねえねえ 新聞 見た?」

 「なんや」

 「ほら、高齢者が事故ったってやつ」

 「ああ あれな」

 「そろそろ 運転 やめたら?」

 「いや ワシはまだ 大丈夫や」

こういうやりとりを何回重ねただろうか。 

事故を起こした高齢者には、認知症など病気を患っている方だけでなく、 何十年も無事故で、健康そのものの”ベテランドライバー”が大勢含まれているのだ。

運転をやめてしまうと通院や買い物もままならないという田舎ではなく、父は最寄りの駅まで徒歩5分という交通の便の良いところに住んでいる。 車で行っていた大型スーパーに行けなくなるなど行動範囲が狭くなってしまうという というのは事実だが

 「車やめたら、車検とかガソリン代とか維持費が浮くから、タクシー代くらいでるで」

と言っても、聞く耳をもたない父。 

しかし、最近の”耳の遠さ”を考えると、イメージするだけでも怖いのだ。 もし、車の後ろで子どもが遊んでいたら・・・ 耳が遠くなかったら聞こえているだろう子どもの声が届かなかったら etc.. 

 「お 雨降ってきたから 家まで送ったろか」

と おうち(実家)に子どもと遊びに行ったときに言われても

 「いや かまへんで。 じーちゃんの車には、もう絶対 乗らへんし」

本当は傘をさして歩いて帰りたくはなかったが、ここで頼ったが最後 車を手放さなくなる と私は心を鬼にした。 

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2007年10月 4日 (木)

補聴器

 「ちょっとリモコン貸して」

といってTVの音量を上げると、

 「これ以上大きくしたらワシ 音が割れて 聞こえにくいねん」

また、ファミレスで食事をした後に

 「周りでたくさんの人が喋ってるとなあ、音が ぅわん ぅわん 響いて、 お前の声が 聞こえんのや」

補聴器をつけたからといって、クリアな音が聞こえるかというと そうでもないらしい。 体は丈夫な父だが、「聞こえ」の問題ばかりは どうしようもないみたいだ。

いわゆる「老人性難聴」は、加齢による生理的変化と考えられ、治療対象にはならず、自力でなんとかしなくてはならない。

父は取扱のある眼鏡屋に行ったり、百貨店に行ったり、通信販売を利用したり とあれこれ自分にあう補聴器を求めていろいろアクションを起こしてはいるのだが、耳が遠い=聞こえにくい程度は 歳とともに進んでいる。

ある日ファミレスに行った後、

 「今日も、聞こえにくかったやろ?」

と父に聞いてみると

 「うんにゃ~ 今日は大丈夫」

 「え なんで!?」

 「へへ 今日はな、 両方に耳栓しとるんや」

    注 : ”耳栓”は、父の隠語で =「補聴器」 のこと。 

父は外出時に、ポケット型の補聴器をつけているのだが、 (ポケット型というのは、『胸のポケットにラジオをいれてイヤホンで音楽でも聴いているようにみえる補聴器』 のことで、ポケットがなければ首からぶらさげることも可能なタイプ)  その日はポケット型プラス、耳穴式(これこそ耳栓そのものタイプ)を着用していたのだ。 

 「こうやったらな、あんまり 響かへんねん」

<必要は発明の母> というが、父も父なりに 工夫をしている。 

だがしかし、補聴器の力を借りていても 耳が遠い=怖い と感じることがあるのだ。

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2007年9月27日 (木)

その後の父

根は真面目な父である。 薬の管理もばっちり! 一緒に外食に行く時も、

 「いや~ 食べて すぐ 飲まないと、忘れそうやから」

と お薬セットを持参する。

もともと自覚症状がない父の、 ”薬の飲み忘れ” を警戒していたのだが 私が目を光らせることなく、一人でちゃーんとやっている。 幸い副作用も出ず、生活はすっかり元通りだ。

ただ、おうちをリフォームした2年前に比べると 『老い』は進行しているように思える。 中でも 耳の遠い程度(老人性難聴)は、確実に進んでいる。

 「ねえねえ おじいちゃん」

 「・・・・」

 「おじいちゃんは耳が遠いんだから ちゃんとおじいちゃんの前で ゆっくり はっきり しゃべらないと わからないでしょ」

 「はあい」

こういうやりとりが、以前より増えている。

補聴器をつけてTVを見ていると、私が玄関を開け、おうちにあがり、リビングへのドア(引き戸)を開けて、椅子に座っている父の真後ろに立っても 気がつかない。 なのでおうちに入ったら、

 「はろ~っ!」 

と大きな声を出しながら父に近づくようにしている。 なぜなら、娘とはいえ 一人きりのはずの家の中で いきなり肩をポンっと叩かれたら びっくりして心臓に悪いだろうと 思うからだ。

最大音量にしている電話のベル、インターホンの音は聞こえているようだが、キッチンタイマーの ピピピピピ という電子音は うっかり補聴器をはずしていると 聞こえないことも。

 「だったら 携帯電話 首からぶら下げて、タイマー機能使えば 鳴るし振動するし 絶対気がつくやん」

 「補聴器つけとったら 大丈夫や」

と、聞く耳を持たない。 キッチンを 火のでない IHクッキングヒーター にしたのは、大正解である。

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2007年9月20日 (木)

正体みたり

金曜に退院した父は、

 「やっぱ家が一番や」

と ホッとした様子だった。

翌週の火曜に診察があり、病院へと足を運んだのだが

 「どれもマイナスですね。 しばらくレントゲン撮りながら様子をみましょう。 それでもはっきりしない場合は、PET ということで。」

結局この日も 父の肺の影の原因はわからずじまいだった。 気管支ファイバーでとった細胞をさらに培養して、1ヶ月後にレントゲン撮影ということになった。   そして次の診察日・・。

 「炎症の原因がわかりました。 ○○菌が検出されました。 1ヶ月培養してやっとでる程度なので、少ないし弱いものですよ。 薬を飲めば治る病気です。 良かったですねえ 癌じゃなくって。」

 「いやあ そうですかぁ。」

診察室に穏やかな空気が流れる。

 「ただ、お薬を何種類か飲んでいただかないといけないのですが、皆さん自分がしんどい時はちゃんと飲んでくれるんですけど、症状が楽になったり ご主人のように自覚症状が全くない方は 飲み忘れてしまったり、勝手にやめてしまわれる方がいらっしゃるんですよね。 それで 投薬指導で入院していただこうかと・・」

 「え? また入院するんですか!?」

 「お薬にも合う・合わないがありまして、副作用が出た場合など 入院していたらスグに対応できるんです。 お一人暮らしということですし、ここでしたら食事の心配もありませんよ。」

ドクターは父に入院を父に勧めたが、おうち大好き人間の父は 首を縦には振らなかった。。

 「大丈夫です。 ちゃんと飲みますんで・・」

 「私もしっかりチェックしますし・・」

 「そうですか? でしたら2週間毎の通院 ということにしましょう。 ただし、何かあったら即入院ですよ。」

この後、でるかもしれない副作用の説明や、その対処法、制限のある食物 などなど 細々と注意事項を必死にメモしながら聞き、薬をもらい 家路についた。

 「いやあ お前がいとってくれて助かったわ。 手続きやら薬やら 先生早口で説明するから 何ゆうてはるんか わからんかったわ。」

 「私も、菌の名前とか知らないし、カルテ覗き込んで写したのもあるけど、あとでネットで調べてみるね」

ドクターは普段使い慣れた言葉を使って説明しているだけなのだが、患者側はチンプンカンプン。 何をどう質問したら良いのかさえわからない。 医師によってこうも説明の仕方が違うのか(=患者が理解できる説明ができるか否か) と実感。 医療についても考えさせられた一日であった。

ともあれ、”影”の正体みたり!  

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2007年9月13日 (木)

ランダムタイマー

 「明日はもう 来なくて いいで」

 「そう?」

 「明日は別に検査ないし、明後日退院やろ。」

幸運なことに、すぐに結果の出る検査方法で、 ”悪い細胞” は出なかったのだ。

 「退屈じゃない?」

 「いやいや、おまえかて忙しいやろし」

確かに・・・ご近所 そして 泥棒さんに ”留守” と悟られないよう おうち(実家)の周りの掃除に毎日忙しかった。 こういう時は、マンションの方が断然楽ちんである。 

掃除の他にも、おうちが真っ暗にならないように一箇所だけ電気を点けるようにしていたのだが、 今日はこっち 明日はあっち と日替わりで点ける場所を変えていたりと気を遣った。 生協のカタログで以前、電気をランダムに点けたり消したりするタイマー というものを見かけたことがあるが、もしもまた父が入院することにでもなったら、迷わず購入!するだろう。

30分ほど二人で喋っていただろうか。 通りがかった担当のL医師が

 「大丈夫ですかっ!?」

と驚いた表情で父に近づいてきた。

 「今日はできるだけベッドで大人しくしていただいたほうが・・・」

 「そうなんですか?」

 「管を入れて組織をとっていますので、まわりの細胞にも負担がかかっているんですよ。 喋るのも控えてもらった方がいい位なんです。」

 「すみませ~ん!」

あたふたと病室に戻り、ベッドに横になった父と

 「あの新人ナースさん、あっちに行ってもいいって 言ったやんねえ」

 「先生に 何も聞いてなかったんやろか」

などとグチを交わしてから病院を後にした私は、帰りの電車の中で はた と気がついた。

80歳目前のじいさんが、気管支ファイバーを受け麻酔が切れた直後に スタスタと歩いて談話コーナーで家族と喋りまくる なんてことはもしかして 担当医の想定外 だったのでは? と。

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2007年9月 6日 (木)

運命の分かれ道

万が一のことが起こるかもしれない”気管支ファイバー”が終わって、私は とりあえず ホッ とした。

 「もう 歩いても ええんかな?」

 「はい どうぞ」

父についてくれていた新人ナースさんのお許しを得て、エレベーターの前にある談話コーナーへ移動した。 ちなみにこの新人ナースさんは、入院した日の父の採血を、私の目の前で見事に失敗した という前科がある。

 「え~!? そんなんちゃんと言って、担当変えてもらった方がいいよ。 黙ってたら練習台にされちゃうよ! うちの父親も人が良いから変えてくれって言えなくて、入院してるときに何回も失敗されたんやで。」

と医療関係の友人は忠告してくれたが、とりあえず1週間の予定の検査入院だったため、新しい芽を摘むことなく、スクスクと伸びるのを温かく見守りながらお世話になっていたのだ。

 「で、どうやったん?」

 「それがなあ、 隣の○○さんが先に気管支ファイバー受けてはってな、しんどくならない方法をあれこれ教えてくれはってな」

 「へえ~ 案外 ええ人やったんやなあ」

 「あの人も検査入院やて。 わしよりちょっと早く入ってはるやろ。 でな・・」

牢名主さんと勝手にあだ名をつけていたその人は、腫瘍が心臓の大きな血管を巻き込んで大きくなっていたらしく、場所的に手術もできず、抗ガン剤と放射線治療しか道は残されていない とのことだ。

 「昨日奥さんも病院に呼ばれてな、長いことドクターの部屋に行ったきりやったわ。」

 「ふ~ん」

母が手術を受けた日、塾で抜けられない父の代わりに病院に詰めていた私は、手術終了後ドクターから別室で説明を受けた。 その時の光景が、思い出された。

 「でな、夜○○さんが話してくれてんけど、自分よりも 奥さんがショックを受けていて心配や ってゆーてはったから、 うちもかーちゃんの時のことをいろいろ話してたりしてな・・」

そう、母も手術した時はすでに、取れない所に転移していたのだ。

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2007年8月31日 (金)

気管支ファイバースコープ

月曜に 「CT」 「尿・便・痰」 「心電図」 「エコー」 の検査をした父は、体をゆっくり休めるために火曜は検査なし。 そして水曜、ついにこの検査入院最大の山場 「気管支ファイバー」 の検査を受ける。

この検査は、レントゲンに映っている 謎の影の所まで管を入れ、、直接細胞を取る というものである。

 「気管支ファイバーでうまく細胞取れなかったら、体を切って 外から取り出すしかないんでが、お父さんの場合は 影の部分が 背中から見ると ちょうど肩甲骨の向こう側にありましてね~ 外科的に取り出すとなると おおごとになってしまうんですよ」

と初診で診察していただいたD医師から説明を受けていた。

しかも入院当日 ”検査中に万が一のことが起こっても・・・云々」という書類にサインをしたのもこの検査。  ”無事に 一発で 謎の細胞が取れますように!” と祈らずにはいられない。

 「検査の時間はなあ、朝にならんと わからんらしいわ」

 「じゃあ 時間決まったら、電話ちょうだいよ」

と前夜 父と話したのだが、電話はなかった。

 「も~ また 忘れてる!」

面会時間は12時から。 検査が午後なら1時から。 それに水曜日は、子どもが学校から早く帰ってくる日。 私は子どもの帰りを待って、病院に行くことにした。

病院に着いたのは午後3時ごろ。 病室に入ると

 「おう ちょうど 麻酔が切れたとこや」

喉に局所麻酔をかけて口から管を入れるのだ。 検査の後は麻酔が切れるまでは大人しくしていないといけない。 

 「さっきまで ふわふわ しとってんけどな」

 「で、大丈夫やったん?」

 「うん。 お隣の○○さんにな むせない方法を教えてもらっとったから 楽に受けれたわ」

お隣の○○さんとは、入院した日に 「コソコソ喋るな!」 と言われた、牢名主さんのことである。

あれ? もしかして、牢名主さんって 意外と いい人!?

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2007年8月14日 (火)

隣の落ち葉

昨日父が病院へ戻る前に点けていった電気を消して・・・、今日は持って行く洗濯物なかったかな・・・、と頭の中で今日やること を整理しながら自転車でおうち(実家)に向かっていた私は、最後の曲がり角をまがった所で

 「なんじゃあ こりゃあ~!?」

心の中で叫んでしまった。 何故なら、おうちの前が というより おうちの前だけが 落ち葉だらけだったからだ。

おうちは駅に向かうメインロードに面して建っている。 ’たばこのポイ捨て’の被害は日常茶飯事だ。 なので、病院に行く前にやることリスト の中には、「玄関前の掃除」も当然のことながら入っていた。

しかし、一体この大量の落ち葉はなんなのだ。

おうちは三叉路の角に建っている。 車一台がやっと通れるような幅の道を挟んだお隣は、庭がその道に面した作りになっていて、道を半分以上覆うような大きな木が一本 生えているのである。

 「ああぁ、そうやった、昨夜は小雨交じりの強風で・・」

お隣の奥さんも気兼ねして、その細い道(おうちの横)に関しては うちのほうまで掃除してくださっているそうなのだが、問題は駅に向かうメインロード側だ。 

おうちの玄関はメインロード側にある。 葉っぱはメインロードにも、細い道にも平等に降るのだが、細い道の方はお隣の奥さんが掃除してくれるため、 手つかずのおうちの玄関の前だけが落ち葉だらけ という不思議な状況になっていたのだ。

ご近所の掃除の行き届いたメインロードの中に、落ち葉だらけの場所が一箇所。 これは目立つ。 掃除してない=留守 というのが丸わかりである。 スグに掃除せねば! なんたって父の入院は、シークレットなのだ。 

雨は上がっていたとはいえ、下はまだ濡れている状態。 落ち葉がくっついてなかなかとれない。 はぁ~まいった。

なんとか片づけ、病院で父に愚痴って 「やれやれ、子どもが帰って来る前に自宅の掃除もしなきゃ~」 などと思いつつ戻ってきたら、またもや大量の落ち葉・・・。

 「なんで うちの方にばっかり落ちてくんねん!」

風向きばかりは、どうにもならない。

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2007年8月 7日 (火)

入院快適グッズ

土曜の朝食を病院で食べた後、父はおうちに”外泊”することになった。 自覚症状や体調不良が全くない父は、病院で朝食をとった後 一人電車で帰ってきた。

できるだけ片づけといてよ~ と 指令を出していたので、冷蔵庫はスッカラカンである。 帰ってきた頃を見計らって、電話をかけてみた。

 「何か、食べるもん ある?」

 「おう、帰りに駅前のスーパーで 適当に買ってきた」

よしよし。

とはいえ、新聞がないのは退屈だろうと 午後、おうちに行くことに。

 「あのなあ なんか 小さいお盆 みたいなん ないか?」

 「お盆? 何のせるん?」

 「ほら、食事の時 食堂にいくやろ。 そん時に、コップとかお箸とかをな・・」

食事は ”ベッドで” or ”食堂で” をチョイスできるシステムになっている。 そこそこ元気!?な患者さんはみんな、食堂でいただいている。 父はもちろん 食堂組である。

 「他の人みとったら、お盆みたいなんに乗せとるんや。 ありゃ便利そうや。 さっきちょっと探してみたんやけど、ええ大きさのが のおてなあ」

 「そういうのやったら 100均にあるんとちゃうかな?」

 「そおか。 そしたら 後で行ってみるわ」

100円で、少しでも快適な入院ライフが送れるなら 安いもんである。

担当医から

 「検査の結果次第で 入院が長引くかもしれませんので、血圧の薬を多めに持ってきておいてください。」

と外泊前に言わた父は、血圧の薬を忘れずにカバンに入れ、門限の日曜午後3時に間に合うように病院へと戻っていった。

月曜から本格的な検査が始まる。 そして私の病院通いも。

と思ったら、病院に行く前に 想定外の大仕事が待っていたのだ。

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2007年7月24日 (火)

入院 そして 牢名主?登場

 「さきほど お父様の方にお電話したんですけど、お留守みたいで・・」

入院窓口で書かされた書類の緊急連絡先には、私の電話番号を書いた。 だからうちに連絡がきた というわけ。

 「ちょっと買い物に出てるだけだと・・」

 「それで、明日なんですが、入院できますでしょうか?」

 「多分大丈夫だとは思うのですが、念のため父に確認して 折り返し電話いたします。」

30分ほどして電話してみると、すぐに父が出た。

 「え? 明日かいな。 ・・・早すぎるなあ」

入院グッズの準備は進んでいるものの、心の準備がまだらしい。

 「でも ’ベッドが空いた’ ってことはきっと、’はよ検査し’ ってことやで。 明日入院しちゃったら」

 「そうかな~?」

 「それはそうと、玄関灯はどうなったん? 修理来た?」

 「おう、電器屋さん今日来てくれはってなあ、やっぱもう寿命らしいわ。 新しいのがお店にあったからって スグに付け替えてもらったんや。 ちゃんと動いとるで。」

リフォーム後のウインドウエアコンの取り付けの時にもお世話になった地元の電器屋さんだが、その時は合う部品がないとかで 何回も何回も足を運んでもらった。 それが今回は一発で修理完了! ・・・ということはやはり、 ”さっさと入院すべし” という天の啓示だろうと私は勝手に解釈した。

とまどう父を説得し、翌朝入院。 

病室に通され 担当のドクターが来るのを待っている間 看護師に渡された書類を書くのに 6人部屋の真ん中のベッドということもあり 父と小声話していたら

 「コソコソ話されたら 何言われてるか気になってかなわん! 普通に喋ってや」

出た! これが噂に聞くアレか。

しかし常識的に考えて、カーテン閉まってる(=寝てる or 具合が悪い)ベッドが二つもある状況では、普通にしゃべる方が迷惑なんじゃないの? な~んて思っても

 「すみませ~ん」 (ニコッ) 

触らぬ神に祟りなし である。

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2007年7月18日 (水)

入院準備だ玄関灯修理

 「いつ頃になるかは・・・・ すぐに空く時もあるんですけど、空かないときは2週間もお待たせすることがありますので・・・」

帰り際入院窓口でこう言われたので、 とりあえず すぐにベッドが空いても =入院 となっても困らないよう  その日のうちに準備を始めた。 ”入院のごあんない”という冊子を見ながら、入院に必要なものをかき集めていく。

 「’ポット(小)’って なんやろか」

 「う~ん・・ 朝、ベッドまでお茶とか入れにきてくれるんと ちゃうかな」

 「そこのスーパーで売っとるやろか?」

 「1週間のために、ざわざ買うのももったいような気がするけど・・ あっ! 子どもの水筒でええんとちゃう? あれも一応魔法瓶やし。」

 「そやなあ。 ほんならソレ 貸してもらおか」

 「次は・・’ゴミ箱’やって。 使ってないのある?」

 「いや あらへん」

 「そしたら、100円ショップにあると思うから 買い物リストにいれといて」

 「へえ そんなものも売っとるんか。 ほなコレとソレと あとで買ってくるわ。」

だいたいの物は、その日のうちに準備できた。

 「ところでさあ、1週間留守にするのって ご近所に伝えとくん?」

 「うんにゃあ 1週間やし 検査入院やし。 本格的に入院 となった時に ゆうたらええんとちゃうか?」

 「わかった。 でも そしたら アレだけは修理しとかなアカンね」 

 「アレ?」

 「ほら、玄関灯のタイマー 調子悪いってゆーてたやん」

おうちの玄関灯には、セットした時間だけつくようになっているタイマー が昔からついていて、薄暗くなる6時に点灯~就寝時間の11時に消灯 を自動的にやってくれる。 しかしこのところ、タイマーが壊れたのか作動せず、父が手動で操作していた。

 「そやった」

 「今スグに電話して修理にきてもらって! いくらなんでも私、夜こっちに来るのは無理やから」

父をせかして電話させ、次の日には修理完了。 やれやれ 一息つこうと思ったら夕方

 「U病院です。 急な話なんですが 明日 入院できますか?」

と電話。 昨日の今日、でもって明日。 本当に急な話である。 

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2007年7月11日 (水)

腫瘍マーカーはセーフなれど

U病院に行って1週間が経った。 そして今日、検査結果がでる。

前回、予約をしていったものの、実際に診てもらったのは予約時間の1時間後。

 「一応予約はとってるんですけどね~、初診の患者さんが来たら 来た順に入れていっちゃうので、早めに来ていただいた方が お待たせしないと思いますよ。」

と担当のK医師から聞いていたので 9時の予約のところ 気合いをいれて、8時半前に着くように行った。 

 「以前D先生(ホームドクター)のところで撮ったレントゲン、去年とか一昨年の分のを借りて持って来てくださいね。」

と言われていたので、フィルムも持参。 そして9時。 診察開始。

 「痰も 腫瘍マーカーも 反応はありませんでしたよ」

 「そうですか~」

父の顔が明るくなった。

 「ただね、持ってきてもらったレントゲンを見ると、影が前より大きくなっているのは事実です。 この前うちで撮ったCTには、昔の結核の跡は写ってるんですけど・・・・ でもこの新しい影が大きくなるということは ガンの可能性がある ということです。」

まだまだ喜べない。

 「それでね 検査入院して、これが何かを調べることにしましょう。」

 「入院ですか・・ 期間はどれくらいになりますやろか?」

 「お若い方なら 検査を詰めて3日くらいでやれるんですけど、高齢ですし 念のため肺以外の 頭やお腹や骨も検査しますので、体の負担にならないように1週間かけてゆっくりとやっていきましょう。」

歳が歳なので、他に悪いところがないかも調べよう ということらしい。

入院手続きをどうするか を聞いた後、私は気になっていたことを質問した。

 「先生、もしこれがガンだとしても 自覚症状もないし、腫瘍マーカーにもでないし 早期 と考えてよろしいんでしょうか?」

 「それは・・・ ガンにもいろいろ種類があって、早期発見だから大丈夫 とは一概にいえないんです。 どの種類かは、直接細胞を取ってみないとわかりませんし。」

とにかく、まずは入院の準備だ。

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2007年7月 4日 (水)

「通い」か?「同居」か?それが問題だ

父を”悲劇のヒロイン”に仕立て上げたいわけではないが、私の頭の中ではいろいろなシミュレーションが始まっていた。

もし 手術 となれば 入院 は避けられない。 入院 となれば 病院に通えるのは 距離的に考えても私だけ。 それはなんとかなるだろう。 なんたって食事の面倒は病院がみてくれる。 24時間見守ってくれている。 私は洗濯物の運び屋になるだけのこと。

それよりも問題は 退院後 である。 

バリアフリーリフォームをしておいたおかげで、段差や介助などの物理的な心配はないのだが、やはりいきなり一人 というのには無理がある。 炊事や洗濯など 家事なら私が通えば済むことだが、父がたった一人の時に 何か不測の事態が起こらないか というのが心配なのだ。

急に 電話もかけられないほど 具合が悪くなったら。。。 ふらついて倒れて 動けなくなったら。。。 不安の種は山ほどある。

となると、やはり 「同居」を考えるべきか。 

しかし、「同居」するには 2階を片づけなければならない。 ・・・押し入れの中の古い布団の山、使っていないタンス、捨てるに捨てられない衣類などなど。。 引っ越すためには引っ越していけるだけのスペースが必要。 しかし、すぐ「入院」となれば、片づける余裕などないし、そしてもちろん 今住んでいる所の、整理・荷造りをする時間もない。 

とりあえず、退院後落ち着くまでは私がおうち(実家)に泊まり込み、回復のペースに会わせて 「通い」 に変える。 というのが妥当な線だろう。 しかしこれはあくまでも 治る 場合に限定される。

先が見えない場合は・・・ う~む。

まだ他にも問題がある。 それは”子ども”だ。 聞き分けられる歳ではあるが、自分のことをなんでも一人でこなせて、母と長時間離れても平気 という年齢には達していない。 また、昨今のこどもを取り巻く環境を考えると、やはり目の届くところにおいておきたい。 となると 「同居」 が妥当か。

ここでまたまた問題発生。 おうち(実家)は近いとはいえ、小学校も中学校も 校区が変わる。 つまり、「同居」 となると 転校しなくてはならない。

現時点で決断はできない。 とりあえず検査の結果が出る 明日 を待つことにしよう。

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2007年6月26日 (火)

告知しますか?

いよいよ国立病院機構 U病院 へ行く日となった。 10時の予約だったが、ドクターによる診察は初めてということもあり、早めに行くことにした。 

 「おれ、たばこやめたんいつ頃やったかなあ」

 「確か私が小学生の時やから ○○年くらい前やない?」

 「ここ 手術したの 何年前やったかなあ?」

 「まだお兄ちゃんが家にいてたから就職前、ということは・・」

几帳面な母がいてくれたら即答できるような質問に手こずりながらも、なんとか問診票を埋めたのが10時前。 しかし 実際に診察室に呼ばれたのは予約時間の1時間後の11時だった。

 「お待たせしてすみませんねえ」

緊張している私たちを笑顔で迎えてくれたのは、K医師。 K医師が肺ガングループの責任者ということは、まだ父には言ってない。

 「D先生のところでレントゲン撮りはったんですね。 D先生っていい先生でしょ~」

にこやかな口調と表情に、私たちの緊張はほぐれていく。

 「えーと、CT拝見したんですが、昔からあった影に 重なるように新しい影ができてるんですよね 咳とか体重減ってきたとか自覚症状はありませんか?」

 「いえ それが 全くないんですわ」

 「そうですか。 それではこれから この影が何なのか  癌なのか 結核なのか 炎症性の疾患なのかを調べていくことにしましょう。」

診察後に血液検査。 そして今日から3日間連続で痰を採取し検査することになった。

 「これからいろいろ検査していきますが もし ”癌” とわかったら 告知してもよろしいですか?」

 「はい。 もう歳ですし、ちゃんと知っておきたいので」

 「わかりました。 でもね、ご主人。 決して悲劇のヒロインにはならないでくださいね。 ここに来ると オレはもうダメだ~ って落ち込んじゃう人がいるんですが、癌なら癌の治療法がありますので・・・ 普通に生活しててくださいね。」  

診察終了。 検査室で血液検査と痰の採取をして帰途についた。 

 「いや~ 一緒に来てくれて助かったわ。 検査のこととか提出場所とか 一回で覚えられへんわ」

 「私も メモってなかったら、わけわからんかったわ」

検査の結果は、一週間後に出る。 

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2007年6月12日 (火)

えらいこっちゃ!

父は、健康診断でレントゲンに写った’新しい白い影’が何なのかを、大きな病院のCTで調べることとなった。

実は白い影が写ったのは今回が初めてではない。 おそらく昔、結核に感染しながらも 発症することなく治ってしまったのだろう という影が ン十年前から存在している。 

 「まあ 昔はこういうことが 普通にありましたからねえ」

と レントゲンを撮るたびに医者にいわれる影だ。

もともと丈夫な父だからこそ、戦中戦後の栄養状態の悪い時代を 発症することなく乗り越えられたと思われる。 (といっても、その時代にすでに影ができていたかは不明だが。)  ともあれ、自覚症状が出ないまま 肺に白い影ができていたのだ。

しかし今回、その昔からある白い影に重なるように 新しい影ができている。

CT撮影の日、私は朝からドキドキしていた。 朝一番の予約だからお昼には結果がでているはず と 買い物にも行かず 父からの電話を待った。 しかしなかなかかかってこない。

 「もしかして 電話しにくい診断じゃ・・・」

いてもたってもいられず、こちらからおうち(実家)にかけると、すぐ父がでた。

 「おう、行ってきたでえ」

暢気な声だ。

 「で、どうやったん??」

 「今日は撮影だけやってん」

 「はあ? その場でスグに解説とかしてくれへんの?」

 「そんなんあらへん。 写真はD先生(ホームドクター)に送っときますから で終わりや。」

 「な~んや。」

ドキドキして待っていなくても良かった という訳か。 私は肩の力が抜けた。

しかし数日後 父からかかってきた電話は 開口一番 

 「えらいこっちゃ!」

だったのである。

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2007年6月 5日 (火)

忍び寄る白い影

ある日、父から電話がかかってきた。

 「あのなあ U 病院って どうやって 行くんや?」

 「あそこは I 駅から近くて歩いて行けるけど どうしたん??」

U病院というのはちょっと前まで ”国立病院” と呼ばれた(いまは’独立病院機構’) いわゆる大きな病院である。

 「いや 実はなあ わし CT 撮らなアカンのや」

 「CT !?」

私はおうち(実家)へすっとんで行った。

家族の中で一番丈夫な父ではあるが、血圧が少々高いので薬をもらうために近所の個人病院へ月1~2回通っている。 最近、年に一度の健康診断で撮ったレントゲンに 去年撮ったレントゲンにはなかった影が映っている というのだ。

 「でな、先生が詳しく検査した方がいいでしょうって U病院の紹介状書いてくれはったんやけど」

 「ふ~ん。。 で いつ?」

 「先生の方からU病院の予約とってくれはるらしいから、とれたら電話します ゆーとったわ」

 「まあ CT って じっと寝てるだけやし ちゃんと診てもらったほうが安心やん」

私はできるだけ深刻にならないように心懸けた。 そして翌日、パソコンで検索した地図をプリントアウトしておうちへ持って行った。

 「はい、これ。 I 駅からU 病院の地図。 確かここに昔コンビニがあったと思うけど、最新版には載ってないからつぶれたんかも・・・」

 「おお わざわざすまんなあ。 実は朝 ちょっと車で見に行ってみたんや。 そしたらゲートがあって、守衛室みたいなんもあったから 手前で引き返してなあ はは」 

思いたったらスグ行動 歳をとっても相変わらずだ。

数日後、父からCTの日程が決まったとの連絡があった。

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